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【スロプロへの道】負け組からの脱却【最終回・そしてライターへ】

あの負け組がパチスロライターへ

〇パチスロ攻略マガジン2020年4月号より転載

時は流れ2010年、相変わらずヘミニクはパチスロを打っていた。

この頃になるとスロ仲間も増え始め、よりパチスロへのめり込むようになっていた。

そして同時に彼の胸中にはあるひとつの気持ちが芽生えていた。

「パチスロで生活出来たらどんなにいいだろう」。

それが許されるのはパチスロ雑誌編集者、もしくはパチスロライターか。

静岡の片田舎でサラリーマンをしながら、こんな突拍子もない夢を描いていたのだが、正直本当になろうなんて思ってはいなかった。

しかしこの気持ちを仲間の1人に打ち明けてみたらば、長文のメールで応援メッセージが返って来た。

その内容は 「ヘミならやれる!」というものだった。

俺ならやれるのか…。

はっきり言って何を根拠にそんなことを言ったのかは定かではないが、自分は乗せられやすいタイプだった。

その言葉で 「機会があったらトライしてみよう」 という気持ちがちょっぴり生まれたのだ。

それでもなかなか本腰を入れるまでには至らなかったのだが、その時は思いのほか早く訪れることになる。

 

2011年1月、会社に退職の意を伝えた。

明確な理由はぶっちゃけ覚えていないが、このまま会社で一生を終えたくないとか、そんな言い分だった気がする。

しかし一番はやはりもっとパチスロを打ちたかったからだと思う。

一度きりの人生、やらずに後悔するよりやって後悔だ…!

彼は二十代半ばながら、若干中二病が入っていた。

さあこれから! という時に…

退職日は年度末の3月31日。

さあもう後戻りは出来ないぞ、不安と期待が入り混じりながら退職までの日々を過ごしていたのだが、ここで予想だにしない事態が発生する。

そう、2011年3月11日の東日本大震災である。

パチスロ打っている場合じゃないのは誰の目に見ても明白だった。

日本が大混乱に陥っているときに、職を手放してスロプーになるなんて狂気の沙汰である。

正直、仕事を辞めると言ったことを後悔した。

だが時すでに遅し、翌月彼は無職になった。

そしてストレスか何なのか分からないが体調を崩してしまい、上京はいったん見送ってしばらく静岡でパチスロ生活をすることにした。

これを契機に、彼のチャレンジ精神は萎んでしまっていた。

そして気が付けば1年の月日が流れていた。

あれ、俺はいつまでこの生活を続けるつもりだろう…?

仕事は、ライターはどうした…?

そんな疑問が心の中に生まれ始めた頃、毎月購読していたとある雑誌の一文に目が止まった。

「第二のしのけん発掘プロジェクト」。

これだ…!

目にした瞬間、履歴書とレポート用紙とお絵描きセットを購入し、家にこもって立ち回りレポートの作成に取りかかった。

第二のしのけんにはなれないかもしれないけれど、幸いにも書くことは得意だったので、良い物を書けば誰かの目に止まるかもしれない。

そんな思いで、数ページに及ぶレポートを夜通し書き続けた。

そしてポストへ投函すると同時に、自身も上京した。

結果が出るまで待つという選択肢は無かった。

ライターになったらどのみち上京するのだから、さっさと行動しておいた方が良い。

もう俺は停滞なんてしない!

さあ果たして彼はライターとして採用されたのだろうか…?

 

その答えはこれを読んでいる皆さんが一番よく知っていると思う。

パチスロで破産しかけた学生時代、もがき苦しみながら勝ち方を身に付けた社会人時代、職を手放しライターを目指して上京したスロプー時代。

手痛い負けも大勝ちも、全てが血となり肉となり、ヘミニクというライターは生まれることが出来た。

もしターニングポイントである2011年に戻ったとしても、私はまたこの道を選ぶと思います。

そして多分、雑誌はスロマガでしょうね。

だって、パチスロで生活するという、自分が一番やりたかった生き方を許してくれるんだもの。

 

今回の格言
パチスロを打つ限り過去の選択は全て正解だ

青春をささげた1冊

静岡攻略マガジン

2012年作成。

とにかく目立つレポートを書こうという思いで書いた一冊。

稼働の合間を縫いながら、2週間ほどかかった記憶。

中身はちょっと恥ずかしくて今は開けない。

思い出として振り返るには、あと10年くらい必要かもしれない。

当時のスロマガ編集部の担当者が言うには「わりとこれが決め手になった」とのこと。

努力は無駄ではなかった。

過去の自分へ

レポートを書いたのも正解だし、速攻で上京したのも正解である。

どちらも行動力の成せる業で、はっきり言って今の自分よりもバイタル・メンタル共に高かったと思う。

若さはかけがえのないもの、動けるうちに稼いでおこう!

 

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