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チワッスあしのです。
パチスロ界に燦然と輝く名機にまつわる思い出話をつらつらと語るこちらの企画、実はこちら、今回で最終回です。
名機にも限りがあるからね。仕方なし。また名機のストックが溜まった頃にひょっこりやり始めると思うので、その節はよしなにお願いいたします。
と、最終回のネタはやっぱりコイツです。
サミーの初代北斗の拳ですね。言わずとしれた超絶名機。
当時は「北斗専門店」みたいなお店までありました。今となっては冗談みたいな話ですな。
専用の小役カウンターまで設置された
【北斗の拳はこんな台】
2003年11月稼働開始の4.5号機。
発売前はそんなに注目を集めていなかったが、稼働開始後にそのクオリティの異様な高さから話題になりサミーへ注文が殺到。
増産に継ぐ増産で最終出荷はなんと63万台という前人未到の金字塔を打ち立てる。色の強弱や恩恵有りのBGM変化など、現在のパチンコにおけるいろいろなお約束を作ったことでも知られる。
「北斗専門店」もそうですが、今の若い人にとってちょっと信じ難いかもしれないのが「北斗専用データマシン」の存在。
BBカウンターという製品が有名でしたね。これはその名の通りバトルボーナスをカウントしてくれる…ものではなく、なんとレア小役を引いてから32Gをカウントしてくれる、という遊技補助のためのものでした。
たぶん小役の払出し枚数を参照してカウントを開始するようになってたので、取りこぼしたらカウントせず。
当たり前ですがスイカの強弱も、それからレアリプレイ(いまでいうチャンス目です)のカウントもなしです。スイカと中チェのみのカウントに過ぎませんでしたが、それでもやっぱこれがあると稼働が伸びたとか。
慣れた人はそんなもんついてなくても別にいいんですが、当時は「北斗世代」と呼ばれる若いスロッターが大量にパチスロを打ち始めており、かつ、それまでパチスロを触ってなかったパチンカーや、あるいはホールに縁がなかった普通のカップルとかが当たり前にホールにやってきてはアタアタホワタと言わしてたんですね。
そういう人たちにとっては、やっぱ中チェを引いた時にズドンと「32」って表示されるのはめちゃくちゃ分かりやすかったと思いますし、ちゃんと中チェを引いた時にモード移行の抽選を受けたんだぜという精神的な担保にもなったんだと思います。
筆者ももう結構長い間パチスロを打ってますが、こんな感じで専用の小役カウンターがわざわざ設置されるのが当たり前になった機種は「北斗」だけでした。
おそらくもうこういうのはないと思うので、唯一無二でしょうな。
もちろん当時はオレも狂ったように打ってました。
ただ、今振り返ると北斗が人気だった時代は「吉宗」や「主役は銭形」などの大量獲得ストック機の全盛期でもありました。
その他「スーパーブラックジャック」やら「島娘」なんかも時代としては同じ。もっと全然古いイメージの「釣りキチ三平(サンペイ)」すら稼働開始年は北斗と同じ2003年なので、今振り返ると「狂ったように打ってた」という表現には自分自身で疑問符がつきます。
だって当時の機種達はだいたい全部それなりに打っており、「おさるの超悟空」とか「タイヨーボウリング」ですら最低でも10回以上は着座してるはず。
「龍宮物語」とか「さくらん坊将軍」とか「サンダーバード」とか「だるま猫」とかもそれなりに打ちましたし、「黄金神」なんかは1日で10万くらい負けてゲロ吐きそうになったもんです。
オレも当時は20代前半。実家暮らしで家賃も住宅ローンもなければ食費すらどうでもよかったし、大学を休学して派遣でパソコン講師してたのもあって、自由になる金も時間も、多分今より多かった。だから単純に、今よりもホールに居る時間はもっとずっとずっと長かったんですな。
たしかにオレは当時北斗をバカみたいに打ってましたけど、他の台もバカみたいに打ってたんで、要はパチスロを全部を「狂ったように打ってた」んだと思います。
人生にいっときくらい、そういうバカみたいな時期というのがあってもいいと思いますし、オレに関してはそのおかげでいまメシを食えてるんで全くもって無駄じゃない。
「北斗の拳」を思う時、オレは「人生に無駄ヅモなし」という、先人の言葉を思い出すのです。
はい、というわけで長きにわたってお付き合いいただきました「名機列伝」および「栄光なき名機たち」ですが、ここいらで終了となります。
楽しみにしてくださっていた読者のみなさまに、心より感謝を。
ありがとうございました!