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【パチンコ】1000円41回るエヴァがあった日の話

ジャイロがニュースになっていたw

今週も過去に生きるパチンコライタージャイロがパチンコ業界の今を斬るジャイロニュースのお時間がやってきた。

今回はネタを探していたところ、X(旧ツイッター)で「こ、これは!」という記事を見つけたのでこのことを今回は語らせていただきたい。

 

ネットを見ていたらなんと突然20年近く前の私が目に飛び込んできたw

人前に出る仕事をやって長いが、不意に自分が出てくると本当にビックリするな。

 

私のパチマガでの先輩「へろん」さん
そして20年前のジャイロ。若い…か?

これはパチンコパチスロ.comさん昔のパチンコ実戦番組の「1000円あたりの回転数」wwwwwwという記事である。

なお、この記事のこの日のことは並び前から台確保まで事細かく覚えている!すげえ懐かしい。

画像に映っているのは私ことジャイロキャプテンと当時のパチマガ攻略軍団のへろんさん。

へろんさんはドテさん(ドテチン)の同期である。へろんさんは今ライターをやっていない。20年前はパチンコライターとしてずっと食っていく人はわずかで、パチンコ雑誌で働いていてものちに別業種へ就職、というのが既定路線だったのだ。

自分が新人だったころは特にその傾向があり、パチマガやスロマガで働く軍団員(データ取りスタッフ。社内ライター的存在)はほとんどが学生、もしくはフリーターで当時25歳の自分すら軍団員の中では年長者の部類だったものだ。当時の攻略軍団の雇用形態は基本アルバイト。時給は悪くなかったが数年やって辞めるのが既定路線になるのも頷ける。

なお、軍団員採用試験のの面接で、

「いずれ社員になれる道はあるんですか?」

と尋ねたところ、返ってきた返答は、

「今のところありません。社員登用はないものとして考えておいてください」

だった。それでもパチンコライターとして名を成したいと思いパチマガに入ったのだ。※なお後に正社員にはなれた。

わかるか、特に今、儲かるからとホイホイと来店演者になってるわけわからん連中。俺や助六、ドテさんはこういう覚悟でこの仕事に就いたんだよ。長い長い下積みもあって今があるねん。

話が逸れたが、当時は現在の姿なんて全く想像もしていなかった、というかメディアに出る、ということすら想像していなかったからね。

未来ってわからんもんだな。


47歳にもなると、思い出が結構前後して、パチンコ店員をやっていた時期はマガジンに入る前なのだが、店員時代はそんなに昔に感じないのに、マガジン新人時代はめっちゃ昔に感じる。

なんでだろな?なんなら学生時代のほうが新人時代より最近にすら感じるのだ。

そして思い出を語り出すと止まらない。なんでだろうな?

若い頃はなんで年寄りは昔の話しかしないんだと思っていたものだが、自分が年寄りになって全く同じことをしているのが笑えるよ。

すまん話を戻そう。

なぜ40以上回るエヴァがあったのか?

この記事の収録の日、私はオープン1時間前の9時にお店に到着した。

当時、このお店は地下駐輪場に並び順でお客さんを並ばせてて、駐輪場に入ると先頭の方にへろんさんとスタッフがいるのが見えた。

この時はまだしくじったとは思っていなかった。

二人の運命が決まったのは入場時だった。エヴァセカンドインパクトは1BOX設置されててさ、後から入場したところ、へろんさんは左の列から見ていたので自分は右の列をチェックした。分岐点はここだった。へろんさんが右の列を先に見ていればあの41回転の国宝台は私のものだった。

自分も台を確保した時点では「勝った」と思える台を掴んでいたんだが、へろんさんの台を見て絶望した。

このお店へはプライベートでもお邪魔していたのだが、あんなハッキリとした化け物台を置くとは想定していなかったんだよ。

収録は数えきれないほどやってきたけど、この日のことは今でも忘れねえ。

ニュースというより思い出話になってしまったな。

今だったら「指定台」とか言われてしまうかもしれないが(※もちろん指定などされていなく他のお客さんもその台に座るチャンスはあった。)、当時はSNSもなくネットも普及していたとはいえ、スマホも無く宣伝媒体としてはまだまだだった。

その分CSや雑誌が強かったのだ。なのでスカパーの収録はお店の大きな宣伝になる。そのためお店もかなり頑張ってくれた。

今で言えばスロパチステーションさん来店、みたいなもんか。

うらやましい、という声も聞こえてくるが、じゃあなんで店は当時こんなことができたかというと、

①メイン機種の台数が今よりはるかに多い。新台入替で1機種40台導入とかが当り前だった。

②交換率が2.5円。当然その分回せる。

③貯玉再プレイなんてない。2.5円なのと相乗効果でその分回せる。

④共有ももちろんない。2.5円なのと相乗効果でその分回せる。


こんな感じだ。2.5円交換、再プレイなし、共有なしという条件は、一見すると今より圧倒的に打ち手に「不利」である。でも、実は遊技条件が打ち手に有利になればなるほどパチは勝ちにくくなる、と思っている。

たとえばデータカウンターもそのひとつ。回転数が誰でもわかるので大変便利だ。1万円使ったときに頭上を見上げれば、そこまで1000円何回転なのか、期待値はどのくらいなのかが容易にわかってしまう。便利である一方で、一般のユーザーが「感覚」で打ってくれなくなった。簡単に回転率が把握されてしまうことでダメ台が動きにくくなった。データカウンターが無い場合は自分で回転数を数えるしかないので、数えていればそれをしない客と差を付けることができたのだ。

交換率にしてもそうだ。2.5円より等価のほうがユーザーには有利。しかし高交換率が定着した結果、結局状況は悪くなったし、等価になったこともユーザー減少の原因と考えている。等価が本当に有利なら年々ユーザーが増えていってもおかしくないだろ?

貯玉再プレイもそう。共有もそう。打ち手に有利になっているのにどんどん状況は厳しくなり遊技人口は減っていく。

皮肉なことだ

逆に言えば、この頃のルールに戻せたらパチンコは面白くなるんじゃねえかな?


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