※過去の「栄光なき名機たち」記事
チワッス、あしのです!
パチスロ界に燦然と輝く名機たちの傍らでひっそりと咲く佳作を紹介するこちらのコラム、今回はタイヨーエレックの「BLOOD+」について。
これは5号機のいわゆる「爆裂ART機時代」の初っ端らへんに出た機種で、個人的にはまあまあ最近の機種っぽい気がしてたんですが、今あらためて見てみると2010年発売ということで、どうやら14年も前の機種である模様。なんてこったい!
14年前のことを「まあまあ最近」とかいうのはこれはもう老化も老化であり、そりゃ筆者の金玉にも白い毛が生えてきて当然であります。
ったく、恐ろしい話だぜ!
タイヨーエレック/5号機/2010年
どんな台だったか
はい、こいつはゲーム数管理式のART機のハシリの機種ですね。
もっとハシリなのはだいぶ前の「マーベルヒーローズ」ですし完成させたのはちょい前の「忍魂」なんですけど、まあそこから一年程度の間なのでハシリグループに入れて良いでしょう。
独特だったのはARTのほかにアシストがないRT「ブラッドチャンス」を搭載しており、それをART突入のためのCZにしてたこと。これはメイン小役やレア小役、そしてリプレイの一部で敵の撃破抽選が行われ、それが一定数までいけばクリア。
一方で終了条件は転落役(チェリー)の自力揃い時となっており、まさしく当時のチェリーパンク式ARTの煩雑な仕組みを逆手にとった見せ方になっていたと言えます。
そしてメインの出玉機構であるART「ブラッドチャンスプラス」はパンクチェリーを含めて全ナビが行われる方式ですが、保証ゲーム終了後はRT状態は維持したまま再度CZ「ブラッドチャンス」に突入。また条件クリアでARTに復帰するという、自力感ありありのループシステムを採用していました。
なおこのCZっぽいRT状態のことをタイヨーエレックは当時「MRT」と呼称しており、たぶん「ミッションRT」の略だと思うのですが当然流行らず。他の機種で使われてた形跡も見当たらないというちょっとした黒歴史となっています。
あとはこの機種で有名なのは史上初搭載の「ダブルフリーズ」ですが、これはホントにホントの激レアフリーズであり今でも「薄い確率」「強力な恩恵」のフリーズの代名詞として時折話題に上ります。
条件については「BIG→BIGの1G連発生時」「BIG→赤BIGの1G連時」「赤BIG→赤BIGの1G連発生時」「BIG→赤BIG(単独)の1G連発生時」「BIG終了1G目にロングフリーズ(単独赤7の一部、1/32731~32942)が発生した時」と諸説あり。
恩恵(ART1000)の強烈さから考えると最後のヤツかな?
なんにせよ、引けたもんじゃないんですけどもね。でも夢だけは超あるんで、俺は嫌いじゃないですこういうの。
こいつのせいで脱スロに失敗した
長くパチスロを打ってる人には定期的に「倦怠期」みたいなのが訪れます。
そんなん全然ねぇよ一生打ってるわ! みたいな色々ビンビンの人もいると思うのですが、大抵の人は1回くらい「もうパチスロやめよ…」という気分になって実際にホールから足が遠のいた経験があるハズ。
俺も数年に1回くらいそういう波がくるんですが、2009年くらいにきた波というのは稲村ジェーン級のビッグウェーブでして、成人してから欠かすことがなかった「毎日のパチ屋通い」という大事な習慣が、この時期だけすっぽりと抜け落ちてます。
理由として仕事が忙しくなっちゃったってのもあるにはあるんですが、それよりも単純に最初期の5号機があんまり好きじゃなかったのが一番デカい。
2009年つったら最初期でもなんでもないんですけど実は当時5号機が好きじゃなくてヤメた人というのはだいたい2008年以降にそうなってるんですな。
なぜかというと、2007年9月までは4号機が打てたから。
なので多くの人にとって真剣に5号機と向き合いはじめたのはその後の話であって、それまでは物見遊山に近い心境で「5号機も頑張ってるな」くらいの、謎に上から目線で付き合うのみで、精神的には5号機時代はまだ始まってなかった。
もちろん、5号機がどういうものか、あるいはどういう台が人気なのかとか、知識として知ってはいたんです。
スパイダーマンとかリンかけとかは普通にハマってたひともいるでしょう。が、致命的なことにそんなに愛着がないんですよね。
例えるなら親戚の家で食う晩飯みたいな、なんか「ウマいんだけど微妙に居心地が悪い空間」というのがそこにはあって、勝手知ったる普段のホールとはなんか違う雰囲気がそこには流れていました。
ヤメた人というのはそういうのがイヤだったわけで、実際の影響は4号機の完全撤去から少し経ったころ、おそらくは2008年以降に出てるわけです。
筆者なんかこのタイミングで九州から関東に居を移して生活環境まで激変してるわけで、とにかく何もかもが侘びしくて仕方なかった。
したがってこの時の「倦怠期」は大変酷く、酷いときはホントに一週間に一回行けば良い方くらいの感じでした(全然行ってる説)。
さらにその状態が半年以上続き、脳内から自分を形成する大切な要素であった「パチスロ成分」が希釈されたタイミングで、なんかの拍子にふと出会ったのがこの「BLOOD+」だったんですね。
いまでも覚えてるんですが、初打ちでフリーズ引いたんですよコレ。
ダブルじゃないほうの普通のフリーズだったんですが、それでも確かARTが300G確定だったハズ。
最初はほとんど「一応趣味だし新台触っとくか」くらいの義務感で打ってたのが、このフリーズを引いた瞬間に一気に戻るというか、渇望してやまなかった大切な成分が脳細胞の隅々にシュワーッと浸透した感じ。
いきなりパチスロ愛が戻ってきました。
もちろん「忍魂」とかも既に出てる時でしたしなんなら普通に打ってたんですけど、俺にとってゲーム数管理のARTが始まったのはこの機種だったんですな。
そこからは散逸したパチスロ愛を取り戻すかのように、仕事終わりから閉店まで毎日いろんな機種を貪り打ったもんです。
もしかしたら俺、この機種がなかったらパチスロライターにはなって無かった可能性もありますし、そういう意味では、こいつは俺の人生にとってもまあまあ大切な一台です。
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