※過去の「栄光なき名機たち」記事
チワッス、あしのです!
パチスロ界に燦然と輝く名機たちの陰でひっそりと咲く佳作(に纏わる思い出話)を紹介するこちらの企画、今回は北電子さんの「ゴーゴークリエーター2」について。
これは1994年に出た史上初?の完全告知機「クリエーター7」の後継機です。
初代に思い入れがある人にとっては感慨深いものがあるのかもしれませんが、筆者はそもそも初代は打ったこと無いので、ただただ「サイレントストック式のジャグラー」として打ってました(すんません)。
システムはやや特徴的な部分があるも、つまりはモードを参照してRT解除ゲームを決める系のスタンダードなヤツでした。
当時はすでに「主役は銭形」「吉宗」などほぼ毎回711枚が獲得できるBIGを搭載したストック機が幅をきかせており、それらに比べればマッタリ気味の機種だったと言えます。
もちろんツボればそれなりの出玉は期待できると思うんですけども、少なくとも大量の出玉を獲得する目的でこれを打ってた人というのは筆者は知らず。
一撃に夢を見るなら他にも打つべき機種は沢山ありまくる時代でした。
というわけで多くの人は筆者と同じく、ちょっと空いた時間に打つ「サイレントストック式のジャグラー」として打ってたんではないかと、筆者はそう思います。
4号機・北電子/2004年
商店街でモデム配ってた
さて当時、筆者は商店街でインターネット回線のモデムを配ってました。
ブロードバンド回線のハシリである、広末涼子がCMしてたアレですな。
あれはモデム配るブースのことを「パラソル」っていうんですけども、当時筆者がいたパラソルは筆者と、そして筆者の中学生時代からの友達の二人で回しており、上司もなにも居なかったこともあってむちゃくちゃフリーダムに運営してました。
時給がクソ高かったので基本二人ともフル出勤にして、一時間ずつ互いに休憩を取って好きなことやる。
同僚はパラソルのすぐウラのゲーセンに行って「ドラムマニア」をひたすらプレイして全国ランキング入りを狙っており、そいつが音楽スタジオで自主練してきましたみたいな格好でドラムスティックを持って帰ってきたら、交代で筆者がパチ屋へ。
うっかり爆裂したり高設定臭いをツモり一時間の遊技じゃ足りない場合は友達に電話して休憩の延長を願うか、あるいはスタッフさんに休憩札を立てて貰って一旦仕事に戻って同僚をゲーセンに送り出し、彼が帰ってきてからまたホールへ戻る、みたいな。
当時は怒られるまで何度も休憩取ってたもんです。
んでそういう時に打ったのがこの「ゴーゴークリエイター2」でした。
最初は北斗が空いてなかったんで仕方なく座ったんですが、良く分からんままにちょびっと打ったところですぐペカり「おッ」となりました。
REGを揃えた所で慌ててケータイで調べた所、どうもこの台、REGの後は天井が256Gになるという特性があるようでした。
256Gだったら全然余裕。
休憩時間内に終わる。
なのでグイグイ回したところ、たしかに天井付近でペカりました。REGでした。
ここまで読んで大体のひとはおわかりかと思うのですが、コイツマジでREG引くと最大256Gまで回す事になり、んでこれが別にBIG確定でも何でも無いというか、普通にREGが来やがるので、つまるところ256Gまでもう一回まわさねばならず、うっかりするとハメ技食らった状態になります。
だいぶ腹たちながら3回目の256Gを回す間に「ちょ、ゴメン。もうちょいで当たりそうだから延長!」って同僚に電話し、迎えた3回目の当たりもREG。
ムカつきながらパラソルに戻り同僚がドラムマニアで汗かいてる間にまたケータイやスロ雑誌で調べると、どうも俺が食らったハメ技は当たり前に起こるというか、そういう風にデザインされておるゲーム性であることが判明。
いくら256天井でも低いモードだと128までの当たりがほぼ無いのがミソで、REG後の天井256G!というのは単純に優しいだけのモンじゃないのがわかりました。
プンスカと怒りながらお年寄り相手に「インターネット使い放題!」つってモデムを配りつつ、ドラムスティック持ちながらいい汗かいて戻ってきた同僚とちょっとタバコ吸ってまたパチ屋へ。
その日は結局全部の休憩時間を「ゴーゴークリエイター2」にぶち込み、んでちょびっとBIGが続いたりしたこともあって微負けで終わったんですが、この「REG後256天井になる」というのは頭の片隅にめちゃめちゃ残る事になり、その後も「なんかジャグラー打ちてえな」「ジャグラー打つならゴークリでいいや」みたいな感じで、ちょいちょい着座する事になるのでした。
そう、なんだかんだ楽しかったんすな。
もちろんムカつきもしたんですけどもね。
結局のところ、「そろそろペカるぞ」って分かるジャグラーって、意外と最強なのかもしれません。