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チワッスあしのです!
パチスロ界に燦然と輝く名機たちの傍らにひっそりと咲く佳作を紹介するこちらのコラム。
といいながら今回のは普通に名機ですけども、オリンピアの「島唄-30」について。2001年のストック機ですね。
これは後の世に続く1G連偏重機の始祖に近い機種ですが、根っこのアイデアは1号機時代の吸い込み方式で見られた1G連とか裏モノとかだと思います。
というかそのへんは当時のサイレントストック全部そうですけどもね。
オリンピア/4号機/2001年
わかりやすかったしインパクトが強烈だった
この機種についてはシステムもさる事ながらキュインといいながら回転する回転灯(パトライト・パトロット)のイメージが強く、のちのオリンピア製ストック機の代名詞にもなっていくわけですが、これ自体も実は島唄発祥というわけではなく、なんと筐体上部に回転灯が据え付けられた機種は1960年代ごろから見られたそうです。
当時の機種が法律的にどうなってるのかはちょっとわかりませんが、1号機以降は大当たりの告知機能の搭載はダメだったハズであり、それが正式に認められたのは4号機から。
だからシオサイもジャグラーも4号機で登場してます。
じゃあそれ以前はどうだったんだよというと、これはもうリーチ目や滑りコマ数で当たりを察知するしかなかったわけで、当然知らん人が打ったら普通に見逃しますし、それを防ぐにはある程度予備知識を入れるしかなかった。
これがパチスロの敷居の高さにつながってたんですけど、これを何とかするために、店側で無理やり筐体の機能を拡張し、なんとかして大当たりの告知ランプをつけてる店というのが3号機以前にもあったらしいんですね。
筆者は当時の状況を知らないのでそれが当たり前だったのか珍しかったのかは知らんのですが、とりあえずその改造は沖縄ではかなり一般的だったという話があります。
んで、その時に付けられてた後付の改造用告知ランプが「回転灯」つまりは「パトライト」型だったそうで。
要はこの「島唄-30」という機種は、システムと筐体の両面から、昔の沖縄を再現したものだったんですね。
繰り返しますが、オレは昔の沖縄のホールの雰囲気とかは知りませんし本で得た知識でしかないですけども、これはいかにもありそうな、すんなり飲み込める説です。
んでこの台が出たばっかりの2001年らへんはパチスロ機のシステム的なバラエティがマジで大爆発してるころで、出る機種出る機種が斬新に思えたし、めちゃくちゃ面白かった気がします。
ただその「斬新性」というのはある程度打ちなれないと分からないものが多かったのも事実。
ATがSINのナビしたりとか消滅型REGを利用してなんやかんやとか、フラグ持ち越しとかオート外しとかボーナス前兆とか色々「天才か!」と思うことはあったんですけど、初心者が打ってすぐ「すげえ」ってなるものではなかったんですよ。
その中、誰でもすぐに理解できて一発で腰を抜かした人が最も多かった機種が、もしかしたらこいつかもしれません。
なんせこいつはわかりやすかったしインパクトが強烈だった。
パチスロの正道からは思いっきり離れてる感じがしますが、そういう意味でも「ケレン味」がすごく、そして人はそういう分かりやすい奇抜さに惹かれるものなのです。
なので地味に「これでパチスロにハマった」という人もいますし、同様のアイデアの機種や、あるいは直接の後継機が令和の現在も出続けてるのはいかにも納得です。
23年くらい前のある日、隣で打ってて1Gでキュッと鳴った瞬間真顔で「裏物?」って言ってた友達が、徐々にシステムを理解して笑顔になっていくのを見ながら「ああこの台は無茶苦茶流行るな」と思ったもんです。