パチンコライターになりたかった
あのとき打ったFギャラクシーが1000円で当たらなかったら今どんな人生を送っているのかいまだに考えてしまうパチンコライタージャイロがパチンコニュースを語るお時間がやってきた。
前回更新日がちょうどライターデビュー22周年の記念日だったので自分の歴史について語り始めたらとても一度に収まらなかったので前後半にさせてもらい、今回はその後半ということになる。まずは前回の分を読んでもらえると理解がスムーズになるかもしれない。
さて、高校卒業後、友人に連れていかれたパチンコで1000円だけならとSANKYOのFギャラクシーを打った18歳のジャイロくん。その1000円でしっかりと大当りしてしまい、結果的にそれがまともな人生プランをブチ壊す第一歩となったのである……。
初打ちの帰り、その足でコンビニに走りパチンコ攻略マガジンを手にしたジャイロくんは以降愛読者となったのだが、もともと文章を書くのが好きで、さらに生粋の目立ちたがり屋でもあったのでほどなくして自分もマガジンのパチンコライターとして活躍したいと思うようになっていった。
マガジンやジャイロ技研の動画を追ってくれている人は言わなくてもわかるだろうが、まずジャイロは「アホ」だということを前提としてこの話を聞いていただきたい。マジメではあるが根本的にアホなのだ。
パチマガの門を叩くも不採用
パチンコを覚えてから2年、パチンコ攻略マガジンにスタッフ募集のカコミを見つけた私は満を持してパチマガ編集部員の募集に応募した。まずここでアホが炸裂する。
①編集部員の募集要項にはしっかり「大卒」と書かれていた。にもかかわらず、私は専門学校卒で大卒の年齢にも達していなく、何一つ条件を満たしていないのに応募してしまっていた。
②そもそも編集者になりたいわけではなく、誌面に顔と名前を出してタレントやライターのような立ち位置で目立ちたかった。
つまりマガジンで言うところのパチマガ攻略軍団やライターに応募すべきところを編集部員の部門に応募していたのだ。①の時点で書類落ちするのは確定なのだが、もし受かってしまっていたらどうしたんだろうね。
ただ当時は出役のポストが少なく募集もあまり行われない狭き門であり、私が見た求人広告に載っていたのも編集部員の募集だけだったのだ。雑誌のスタッフは全員が編集部員だと思っていたジャイロくんは採用されれば誌面に出られると思って応募していたんだ。だってパチマガ編集部って言うじゃないか……。
当然落ちた。落ちた原因は大卒じゃないからだろうと思い一旦は諦めたのだが「なにか武器があれば大卒じゃなくても何とかなるかもしれない」と悪あがきをすることにした。実は出役の方の条件には大卒は含まれていないのだけど、募集が少ないので目にする機会もなくそれも知らなかったのだ。
まだ諦めない!
パチマガ編集部員になるために(なりたいのは編集部員じゃなかったが前述の通りわかっていなかった)キャリアを積もうとおもったジャイロくんは、パチンコ店で働くことを決意したのである。地元にはホールがいくつかあり、その中でまず目をつけたのがABC二日町店だった。
アルバイトの面接にいくも「正社員でやってみないか」と言われ、二つ返事で了承したのだがなぜか不採用だった……なんでや!(# ゚Д゚)
ただ、ABC二日町は自分がよく打ちに行くホールだったため落ちてもあまりショックではなかった。だって採用されたら打ちに行けないし(なぜ受けた?)。なお、ここのお店ではのちにマガジンの後輩となる七之助くんに出会うこととなる。
次に目を向けたのがマルハン新谷店。結果的にここで採用していただき無事パチンコ店員になることができた。ここに応募したのは「現金機が一切無いので打ちに来ることはない」と判断したためだった。そんなことで決めていいのか。
現在はパチンコホールの代名詞と言っても過言ではない圧倒的強者であるマルハン。若い読者には信じられないかもだが、1999年当時では渋谷にマルハンパチンコタワーという有名店舗こそあったものの、基本的には静岡を拠点としている地方のチェーンだった。静岡県内には20~30店舗くらいあったと思う。それでも「静岡では有名」くらいの規模でマルハンを知らない人も多かった。
結果的にこの選択が大正解で今でもお仕事でお世話になることが多い。
なお、面接ではゆくゆくは雑誌で働きたいので社員ではなくアルバイトを希望しますと伝えていた。
自分の人生の最大目標は「目立つこと」
店員時代のエピソードはここでは省くが、結局このマルハンで4年間働いた。このまま店員として働くのも悪くないなと思っていたが、アルバイトで2年働き、正社員になってから2年が経った頃、手にしたマガジンについに「パチマガ攻略軍団募集」の項目を見つけてしまい、心が揺れた。
このときやっと編集部員と軍団員は職域が違うということも知ったわけだ。また、当時の軍団員はアルバイト採用しかなく、時給850円。募集要項も編集部員よりは緩く、応募へのハードルは低い。
その分ライバルも増えるかもしれないが、応募すれば受かる自信はおおいにあった。だがもう25歳になっていた自分にとってそれは冒険だった。
マルハンは当時から給料が良いだけでなく福利厚生もかなりしっかりしており、休みもきっちりもらえていていわゆるホワイト企業。不満はなかった。2002年を境に全国展開を始めており、今後ますます成長するであろうことは間違いなかった。
そしてこの年齢でアルバイトに戻る覚悟をするならば、結婚が遠のくどころか結婚をあきらめる覚悟もしないとならないだろう。
それでも自分の人生の最大の目標は「目立つこと」だったわけで、結局は安定を捨てて応募することを決意する。
そしてついに面接&入社試験となったわけだが、試験の内容はパチンコの実技で、編集部にあった実機を打ち、その場で止め打ち手順を作るなどの技術介入も見られた。
前回応募時に2年だったパチンコ歴は6年を超えていて、しっかり収支もあげていたし、勝つための理論も身についていた。実技試験も問題なくこなせたので、試験&面接のあとは「100%受かった」と意気揚々と帰宅した。今まで数多くの試験を受けてきたけど、この時以上に自信のある試験はなかった。
なお、この日に自分と同じく面接を受けた人たちの中に助六くんがおったのだが、自分は覚えていなかった。なんだかんだ心の余裕がなかったんだと思う。
パチンコ演者になりたければ人生を捨てろ
以前は「(パチンコ)ライターになるにはどうしたらいいですか」とよく聞かれた。
現在は「YouTuber(演者)になるにはどうしたらいいですか」と聞かれることがあるわけだが、いずれにしても一番大事なのは覚悟だ。
私もパチンコライターになる際はマルハンという優良企業の正社員というポジションと生活の安定を捨てて、先行き不安な状態でスタートしたのだ。
YouTubeもそうだ。鳥貴族の店長を辞めて飛び込んだ。
どちらも退路を断ちすべてを失う覚悟を持ったから今がある。
かといって、じゃあ覚悟できないならやるなとは言わない。人生、安定を求めることもまた大事だ。覚悟ができないことを恥じなくていい。普通の人生を送れる人が無理にくる世界じゃない。
ただ、本気でやりたい、成功したいのなら前述のようにいろいろ失う覚悟は必要だ。そこまではできないよ、と少しでも思うなら、本当にすべてを捨てて挑んでいる奴にはかなりの能力差がない限り勝てないだろう。
ふう、なんだかんだ今回も長くなったな。
次回、後半は当時のライター生活を語ろうと思う。
(※編注:えっ、まだ続くんですか? というかこれが後半じゃなかったの??)



