今回は「評価」に関する思いを和泉純が暴露! 担当編集は仕事だと評価=報酬に直結するもの……という認識です。ゆえに、評価は正当であるべきだとは思うのですが……思い通りにはいかないイメージ。
歌ってないのに歌手ねぇ…
世の中、実力通りの「評価」はなかなかされないものだ。そして、その「評価」が報酬に直結するものならなおさら。
なぜそうなってしまうのだろうか?
その理由は「評価する側」が多くの場合ド素人であることに他ならない。
例えば「歌手」。非常に残念なことだが、日本で売れている歌手の多くはたいした歌唱力ではない。それどころか、「口パク」も少なくない。発売されている音源でさえ本人が歌っているのかどうか怪しい。
言葉は悪いが「評価する側」が口パクかどうかも判断つかないド素人達だから、こんな詐欺まがいのことをしても評価をされてしまう。もちろん、音楽などは評価するにあたっての数値などがなく、基本的には「単なる好み」。よってこれはあくまでも良いとか悪いとかの話ではない。
では結果が数値としてでる「プロ野球」はどうだろうか。いや、これも実はまっとうな評価をされにくい。特に「監督」はこれに当てはまる。
やれ「ここで何でこのピッチャーなんだ」とか、やれ「ここは代打だろ」など外野のド素人達に散々な言われようになる。
考えてみてください。野球のこと、選手個々の能力、そしてチーム事情などなど……そのチームの監督以上に知っている人はいません。ご自分がそれ以上に知っているとお思いか?
テレビ中継などではその選手の相手投手(もしくは打者)との対戦打率などを紹介するが、数値だけの情報で内容など紹介はしない。例えば5打数2安打だったら打者側からすれば数値上は相性の良い投手となるが、その2安打がポテンヒットもしくはゴロヒットであとの3打席すべて三振だったら、逆に相性が悪いということになる。
監督というのは内容で判断しているのだから、時に数値上では間違っているかのような采配があって当然なのだ。
それを結果だけで批判されるのは、パチンコ実戦番組でちゃんと回る台打ってるのに「なんであんなに当たらない台打ち続けるんだ」などとお門違いな批判をされるようなもの。
安易な批判は自身の無知さを拡散しているだけ。恥ずかしいことと思っておいた方がいいだろう。「そういう楽しみ方なんだ」というのもわからんでもないが…。
パチンコには必要なし
ちなみに、パチンコで勝っていくことは他人の評価など必要ない。報酬(収支)にも影響しない。多少の運・不運も影響するが、「良い顔に生まれる・悪い顔に生まれる」くらいの大きな不平等は起きない。
面白いとも楽しいとも思わないパチンコを俺が30年も打ち続けているのはソコ。そしてライター業からパチンコ生活者に戻ったのもそれが理由の一つ。
ライター業も結局は報酬が評価。ひがんでるみたいだからあんまり言いたくないが、俺よりもオカルト漫画家の方が評価されていることは、やはりちょっとだけ、いや大いに、いやめちゃくちゃ納得いかない。クソがっw
釘言実射編:PA真・怪獣王ゴジラ 77ver.
寄り周辺
風車の位置が悪く、ノーマル状態ではけっこうこぼれてしまう。できればプラス状態が好ましい。
ヘソ周辺
アマめの印象。ちゃんと寄ってくればちゃんと入る。寄りが良ければそれほどプラス状態じゃなくても期待できる。1個戻し。
右賞球口周辺
電サポ中は止め打ちが有効。この賞球口次第では玉増えも。ノーマル状態に近ければオッケー。3個戻し。
TM&(C)TOHO CO., LTD.
テーマ曲
I'ma“G”AK-69 Licensed by ユニバーサル ミュージック
One More Time AK-69 Licensed by ユニバーサル ミュージック