

歳をとってくれば「死」を意識するようになる。それは、身近な人の「死」に直面したり、自身の健康状態に不安な面がでてきたりするからだろう。
若い頃はただ漠然と「死ぬのが恐い・生きたい」とばかり思っていたが、今は同世代の人達と「死に方」について話す機会も多い。
俺はやっぱり一瞬で終わりたいかな。以前頭を打って気絶した時の「無」を経験してそう思うようになった。なにしろ痛みなど一切なく、瞬時に意識がなくなった。どうせ死ぬならこれでしょ。痛いのは嫌だ。闘病生活は俺には絶対耐えられない……。
ちなみに、頭を打った場所は某いやらしいホテルの風呂場。これからのことを想像してさぞルンルン気分だったんだろうね。軽くスキップしながら風呂場に入ってったんだと思う。それとも足にローションでもついてたのかな? みんなも滑りやすい場所では気をつけてね。で、何の話だったっけ?
【今回の金言】性に執着はあるが生に執着はない…

昔のタマを「和泉純」にイジってもらう!

もうね、いつ死んでも悔いはない。死んだら毛深い子供達(猫)に
悔いがあるとすれば……
もう1回阪神の優勝見たいくらいかな。
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