
チワッスあしのです。
パチンコ・パチスロにまつわる答えの出ない疑問に何となく形を与えるコチラの企画、今回のネタは「パチンコとかパチスロを打ちまくった人、最終的には海物語に帰って来るんじゃない?」というもの。
たしかに。これ実はオレも最近スゲー思ってます。
年食ったせいか色々ゴチャゴチャしてる機種よりシンプルなほうが良いな~みたいな感じになっておるのですが、「じゃあジャグラー打てよ」と言われると困っちゃう微妙なお年頃といいますか。
別にジャグラーが嫌いなワケじゃないんですが、そこまでシンプルだとどうしてももう少しシゲキが欲しくなっちゃうというね。
この辺は自分でも上手いこと言語化できないんですけど、シンプルだのなんだのといいながらも、結局のところ人類は「海」そのものに惹かれるモノなんだろうなって思いました。
なんせ「海」は我々地球上の生命体の、広い意味での故郷。
学生の頃に読んだホットドッグプレスか何かによると、性交…もとい成功率が高いデートスポットは「水族館」でした。やっぱ「海」って否が応でも「生命」とかそういうのを連想するんですよ。そりゃ性欲も高まる。
ちなみにオイラ、海はコワイのであんまり好きじゃありません(全否定)。
が、水生生物は好きで、小学校の頃とかは金魚とかメダカとかをデッカイ水槽に一杯飼ってました。眠れない夜なんかは乾燥したイトミミズとか練りエサを一生懸命つつく彼らの姿をアイス食いながらボンヤリ眺めてはいい気分になってたもんでして、そう考えると本質的には海とか水に対してなんかリスペクトめいたものを抱いてるんだと思います。
大海原、というのがあまりにも壮大過ぎてなんかコワイだけでね。
というわけで「海」を題材にしたパチンコというのはこれはそもそもモチーフが激強でして、人類全体に対して訴求力があるんですな。特にやっぱ年寄りがこれを好むというのは結構示唆に富んだ話だと思います。酸いも甘いも噛み分けた熟練の人類になると、最終的には海に惹かれていくのでしょうな。
そう考えると今一生懸命荒波のマシンを打ってる若者も何十年かすると「っぱコレよ」っていいながら海物語を打ち始めることでしょうし、実際その兆候はオレにもあります。今オレは海が打ちたい。
というか今コレ書きながらふとH.P.ラヴクラフトの「インスマウスの影」を思い出しました。
日本だと「ギミア・ぶれいく」で佐野史郎が主演をやった「蔭洲升を覆う影」って珍ドラマを見たことがあるおっさんも多かろうとおもいますが、内容は超ざっくり「魚コワイ。でも自分も魚だった」みたいな感じです。「いあ!いあ!くとぅるふふたぐん!(Ia! Ia! Cthulhu fhtagn!)」って有名な一説からもわかるようにいわゆる「クトゥルフ神話」という人造神話の一作というか、マスターピース的な作品なり。
主人公は最終盤でとにかく海に惹かれていくんですけど、マジで「海物語」もそういう吸引力をもっており、マリンちゃん達もよく考えると普通にエラ呼吸してるはずなんでディープ・ワン(深き者共)の一員なんだと思います。
クジラッキーとクジラブリーは父なるダゴンと母なるヒュドラに重なりますし、もしかしたらギンパラの開発にはダゴン秘密教団が一枚噛んでた可能性もありますな。
何の話やねん。というわけで本日のネタである「パチンコとかパチスロを打ちまくった人、最終的には海物語に帰って来るんじゃない?」に対応する答えがコチラ。ドン!
おっしゃるとおり。生命は海よりいでて海に還るものなのです。
以上! 今週はここまで! クリスタルモードの神殿は、あれは南太平洋上の到達不可能点で浮上した、ルルイエなのかもしれません。